その青年の名を、瀬葉淳という。あるいは、Nujabesという。
2010年、彼は30代でこの世を去った。だが彼の音楽は、死後ますます世界に広がり続けている。2018年にはSpotifyの海外で最も再生された日本人アーティストとしてアメリカ国内1位を記録し、2022年の東京パラリンピック開会式では彼の楽曲のリメイクが使用された。渋谷のレコード店から始まった音楽が、文字通り世界の舞台に届いている。
その道を開いたのは、一本のアニメだった。
天才が天才を見つけた日
渡辺信一郎は音楽の人だ。中学生のときにYMOに出会い、あらゆるジャンルの音楽を貪欲に吸収してきた。90年代から2000年代にかけて、彼は毎週のように渋谷の宇田川町のレコード屋に通い、新譜を片端からチェックしていた。ARBANのインタビュー( https://www.arban-mag.com/article/55072 )でこう語っている。
「レコード屋通いをしていたので、彼の初期の12インチシングルは全部聴いていました。サンプリングのネタ感が特徴的で、メロディアスで、彼独特の叙情感のようなものがあって、映像が頭に浮かんでくる感じがした」
当時のNujabesは、渋谷のアンダーグラウンドシーンで自主レーベル「Hydeout Productions」から12インチシングルを出している無名のトラックメイカーだった。国籍すら明かしていなかったという。世間的にはほぼ誰も知らない存在だ。
その音楽の中に「映像が浮かぶ」と感じた渡辺信一郎は、2004年のTVアニメ『サムライチャンプルー』の音楽にNujabesを起用する。渡辺は同じインタビューでこうも述べている。
「音楽をもっと立てて、音楽と映像が50:50で競い合うようにしたかったし、ときには音楽が立ち過ぎるくらいのほうが面白いと思っていた。そのためには、それだけの力を持つ音楽でないといけない。ヒップホップのなかで最適だったのがNujabesでした」
天才が天才を見つけた。渋谷のレコード店で12インチを掘っていた監督が、同じ渋谷のレコード店を営むトラックメイカーの音楽に「これだ」と確信した。天才が天才を知る——その瞬間が、後の世界的なムーブメントの起点になる。
時代劇とヒップホップの衝突
『サムライチャンプルー』は、江戸時代を舞台にした時代劇にヒップホップの文化——グラフィティ、ブレイクダンス、そしてビート——を混ぜ合わせた作品だ。タイトルの「チャンプルー」は沖縄の言葉で「ごちゃまぜ」。その名の通り、あり得ないはずの組み合わせが奇跡的に噛み合っている。
音楽にはNujabesのほかに、fat jon、FORCE OF NATURE、Tsutchieという4組のトラックメイカーが参加。中でもNujabesが手がけた楽曲群——「battlecry feat. Shing02」「aruarian dance」「mystline」——は、ジャズやソウルのサンプルをベースにした叙情的なビートが、侍たちの孤独や旅の哀愁と完璧に共鳴していた。
日本での放送時は決して大ヒットとは言えなかった。しかしアメリカでの再放送を通じて、じわじわとファンが増えていく。渡辺自身が「アメリカのアニメイベントに行くと、デカい怖そうな黒人が『サインくれ』と来る。『どの作品が好き?』と聞くと『サムライチャンプルー』と答える」と回想しているように、特にヒップホップカルチャーと親和性のある層に深く刺さった。
ローファイ・ヒップホップの"ゴッドファーザー"
Nujabesの音楽がさらに大きな文脈で語られるようになったのは、彼の死後だ。
2010年代半ばから世界的なムーブメントとなった「ローファイ・ヒップホップ(Lo-Fi Hip Hop)」。YouTubeの24時間配信チャンネルで静かに流れ続ける、メロウでチルなビート。そのルーツとして、NujabesはアメリカのJ Dillaと並んで「ゴッドファーザー」と呼ばれるようになった。
渡辺信一郎は同じARBANのインタビューで、このムーブメントについてこう語っている。
「ローファイを作っている人たちがアニメを観てくれていたのは、子供の頃なんですよね。幼少期の経験って刷り込み度合いが強いから、そこから音楽を掘っていくなかで、ローファイ・ヒップホップというムーブメントが生まれたのかもしれない」
つまり、こういうことだ。渡辺信一郎が渋谷のレコード店でNujabesを見出し、アニメに起用した。そのアニメがアメリカで放送され、子どもたちの耳にNujabesの音楽が届いた。その子どもたちが大人になり、Nujabesの音楽を掘り、影響を受け、ローファイ・ヒップホップという新しいジャンルを生み出した。一人の監督の「この音楽はいい」という直感が、20年後の世界の音楽地図を書き換えたのだ。
この世にいない天才へ
Nujabesは今、この世にいない。あまりにも早すぎる死だった。その後も仲間たちによって3rdアルバム『Spiritual State』が完成し、追悼イベントが開かれ、サウンドトラックは20周年を迎えてアナログ盤でリイシューされた。2022年のアナログ4タイトルは合計3万枚を超える異例のヒットとなり、2024年にはついにサブスクでの配信も解禁された。
彼がもし今も生きていたら、どんな音楽を作っていただろうか。『LAZARUS』のカマシ・ワシントンのように、自らアニメの音楽を手がけていたかもしれない。あるいは、まったく別の次元の音楽を生み出していたかもしれない。それは永遠にわからない。
だが、一つだけ確かなことがある。渋谷の宇田川町で12インチシングルを作っていた無名のトラックメイカーを、アニメという「物語の器」が世界に連れ出した。そしてその音楽は、作り手がいなくなった後も、世界中で再生され続けている。
天才が世界に出るとき、その道を開いたのもまた天才だった。渡辺信一郎がNujabesの音楽に「映像が浮かぶ」と感じなければ、『サムライチャンプルー』は生まれなかった。『サムライチャンプルー』がなければ、ローファイ・ヒップホップは違う形になっていたかもしれない。天才が天才を知る。その出会いの連鎖が、音楽の歴史を動かす。
アニメの音楽には、そういう力がある。ストーリーと掛け合わされた音楽が、一人のアーティストの人生を変え、一つのジャンルを生み、世界中のリスナーの風景を塗り替える。私たちはそんな奇跡が起きる場所に立ち会っているのだ。