もし今でもそう思っている人がいるなら、それはとてももったいないことだ。アニソン——アニメソングという世界には、昔から驚くほどの才能が集まってきた。そしてその流れは、2020年代の今、かつてないほどの勢いを見せている。
このコラム「Beyond the Anisong」では、アニソンの"向こう側"にあるもの——楽曲の構造、アーティストの才能、制作の裏側、そして音楽シーンに与えた影響について、一人のアニソン好きの視点から掘り下げていきたい。
アニソンは「本物」が集まる場所だった
振り返れば、アニソンには常に時代を代表するミュージシャンの姿があった。
1970年代から80年代、アニソンはまだ「番組の主題歌」という位置づけが強かった。しかしその時代にも、ささきいさおや水木一郎といったアーティストたちが、圧倒的な歌唱力でアニソンという表現の場を切り拓いていた。彼らの歌声は、単なるBGMを超えて、作品そのものの魂になっていた。
80年代に入ると、その構図に変化の兆しが現れる。1983年、杏里の「CAT'S EYE」がアニメ『キャッツ♥アイ』の主題歌としてオリコン5週連続1位を記録した。アニソン専業ではないポップスのアーティストが、アニメの主題歌で大ヒットを飛ばす。これは後の時代を予告する出来事だった。
そしてその流れを決定的にしたのが、1987年の『シティーハンター』エンディング、TM NETWORKの「Get Wild」だ。それまで別々の世界だった「ポップミュージック」と「アニメ」が本格的に交差し始めた瞬間だった。
この流れは加速していく。90年代には『スラムダンク』でBAADやWANDS、大黒摩季が、『るろうに剣心』でJUDY AND MARYが、『新世紀エヴァンゲリオン』で高橋洋子が——それぞれの楽曲で、アニメと音楽の境界を溶かしていった。
アニソンに才能が集まった本当の理由
もちろん、この流れは純粋に音楽的な理由だけで起きたわけではない。90年代のアニメタイアップには、レコード会社のビジネスとしての側面が大きかった。
『スラムダンク』の主題歌にはBAAD、WANDS、大黒摩季、ZARDといったビーイング系のアーティストがずらりと並び、『るろうに剣心』にはJUDY AND MARYやL'Arc~en~Cielが起用された。毎週ゴールデンタイムに全国放送されるアニメは、CDのプロモーション媒体としてこの上なく優秀だった。アーティストが作品に惹かれて集まったというより、レコード会社がアニメを有力なプロモーションの場と捉え、自社のアーティストを送り込んだ——そういう構造があったのは間違いないだろう。
しかし——ここからが面白い。
ビジネスの論理で始まったはずのタイアップが、やがてアニソンそのものの質を押し上げていく。一流のアーティストが本気で楽曲を作り、それがアニメの映像と結びつくことで、楽曲単体では到達し得なかった表現力が生まれた。菅野よう子が『カウボーイビバップ』でジャズからエレクトロニカまでを自在に横断し、梶浦由記が『魔法少女まどか☆マギカ』で唯一無二の音世界を構築したように、アニメという「物語」の存在がアーティストの創造力を別の次元に引き上げたのだ。
ビジネスが才能を呼び、才能が表現を深め、表現が国境を越えた。LiSAが『鬼滅の刃』で世界的な知名度を得たのは、こうした数十年にわたる構造の積み重ねの結果だ。アニソンが世界に届く音楽になったのは、偶然ではない。
90秒のもう一つの作品——OP/ED映像という表現
そしてもう一つ、このコラムで掘り下げたいテーマがある。アニソンの魅力は、楽曲だけにあるのではない。オープニングとエンディングの「映像」だ。
意外と知られていないことだが、アニメのOP/ED映像は、本編とはまったく別に制作されることが多い。特に1980年代から2000年代にかけてのオリジナルアニメでは、本編の制作が始まる前に——つまり本編の映像がまだ存在しない段階で——OP/EDが先行して作られるケースが珍しくなかった。制作を担当するのも、本編とは別のスタジオやクリエイターだったりする。
想像してみてほしい。脚本もない。本編の映像も観たことがない。あらすじを聞き、キャラクターの性格を聞き、世界観の雰囲気だけを頼りに、90秒の映像をつくる。これはもはや、独立した一つの映像作品だ。
だからこそ、OP/ED映像には独特の熱量がある。本編を忠実に再現する必要がない分、クリエイターの解釈と美学がダイレクトに反映される。楽曲のBPMに映像を完璧にシンクさせ、カット割りで感情の起伏をつくり、90秒という制約の中に作品の本質を凝縮する。音楽と映像が一体となった、ミュージックビデオとも本編ダイジェストとも違う、アニメ特有の表現形式がそこにある。
「子ども向け」の偏見を超えて
正直に言えば、私自身もかつてアニソンを少し軽く見ていた時期がある。「所詮アニメの曲でしょ」と。でもある時、ふと気づいた。自分が心の底から震えた音楽体験のいくつかが、アニソンだったのだ。そしてその感動は、楽曲だけではなく、OP/EDの映像と音楽が一体となった「90秒の作品」から生まれたものでもあった。
音楽に貴賤はない。だが、アニソンという領域にはまだ「正当に評価されていない」という感覚がつきまとう。ロックやジャズやクラシックと同じ地平で語られるべき楽曲が、「アニメの曲だから」というだけで見過ごされている。
このコラムでは、そうした偏見の向こう側——Beyond——にある、アニソンの本当の豊かさを伝えていきたい。楽曲の深さだけでなく、映像との融合が生み出す表現の力も含めて、丁寧に言葉にしていくつもりだ。
次回は、アニソンの最前線で起きている地殻変動について書きたい。K-POPアーティストが日本のアニメ主題歌に続々と参入している現象——その背景にある戦略と、アニソンの未来への影響を読み解く。